大判例

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最高裁判所第三小法廷 平成9年(あ)197号 決定

本店所在地

東京都豊島区東池袋二丁目一一番一一号

関根建設株式会社

右代表者代表取締役

関根久男

本籍

東京都豊島区東池袋二丁目一二番

住居

同 豊島区東池袋二丁目一二番六号

会社役員

関根久男

昭和一四年八月一三日生

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、平成九年一月二二日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、各被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人大室俊三の上告趣意は、事実誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 千種秀夫 裁判官 園部逸夫 裁判官 尾崎行信 裁判官 元原利文)

平成九年(あ)第一九七号

上告趣意書

被告会社 関根建設株式会社

被告人 関根久男

右被告会社及び被告人に対する法人税法違反被告事件について、弁護人の上告趣意は、左記のとおりである。

平成九年六月一一日

右弁護人

弁護士 大室俊三

最高裁判所

第三小法廷 御中

第一点 原判決は、被告人が元請会社の役員から直接依頼を受けてバック金を渡していたことがあったとしても、そのバック金は、佐藤作成のリベート集計表の数額に含まれていたと認定したが、これは判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認であり、これを破棄しなければ著しく正義に反するから、刑訴法第四一一条二号により原判決を破棄するよう求めるものである。

一 原判決の認定

原判決は、「一審判決認定のリベートは、いずれも元請会社の現場所長の依頼に基づき被告会社の経理責任者である佐藤富雄を経由してなされているものであるが、これとは別に、被告人自らが、元請会社の役員から直接頼まれ、右佐藤が関与することなしに、元請会社の社長や役員にバックしていたものが存在していたのであって、そのようなものとして不二建設に対してバックしたリベートは本件各事業年度ごとに二〇〇〇万円は下らなかったから、その分各事業年度の売上高から控除されるべきであるのに、これをしないまま売上高を計上して所得金額を認定している一審判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある」との控訴趣意に対し、被告人が元請会社の役員から直接依頼を受けてバック金を渡していたことがあったか否かについて明確な認定を避けた上、仮にこの事実があったとしても、「そのバック金は、一審判決が認定したバック金の数額に含まれていた」として、控訴趣意を排斥した。

しかしながら、被告人が不二建設の社長から直接依頼を受けて渡したバック金が存在しその額が本件各事業年度に各金二〇〇〇万円を下らないこと、そのバック金が一審判決が認定したバック金の数額に含まれないことは、いずれも証拠上明らかであり、原判決は重大な事実誤認を犯しているものである。

二 被告人が不二建設の社長から直接依頼を受けたバック金が存在し、その額は本件各事業年度に各金二〇〇〇万円を下回らないことについて

1 この点については、原審における証人山口慎一郎の「(いわゆるバック金というものを作ってもらっていたということが)ございました」「これは私が関根社長に直に依頼しまして、お願いしたんです」「(その金額は)はっきり覚えていないんですが、――年間二〇〇〇万円ほどお願いしたという記憶はございます」との証言(同証人の証言速記録五丁裏ないし六丁表)及び同じく原審における被告人の「裏金というような金を年間二〇〇〇万円ぐらい作ってもらえないかという相談をされました」「山口社長に呼ばれまして、そういう話(年間二〇〇〇万円ぐらいの裏金を作ってもらえないかという話――引用者注)をしました」「バックのお金を作ったものから会社のほうに、元請さんの方に私が持参したというような形をとりました」との供述(同人の速記録二丁ないし三丁)からして明らかである。

2 ところで、原判決の指摘するとおり、被告人の右供述は、一審公判までの一貫した供述を翻したものである。しかしながら、被告人が供述を変転させたのは、一審公判当時までは、「元請先に迷惑をかけるわけにはいかないし、もしバック金を払っている元請の名を出せば、将来的に仕事がもらえなくなる」との判断から供述できなかったが、原審に至り、不二建設の社長山口が、実刑判決を受けた被告人に同情するとともに、自らも建設業から手を引いたことから不二建設に対するバック金を公表することを了解したためである(山口速記録八丁、被告人原審速記録四丁)。供述を変転させたこの理由は、企業経営者という立場に照らし極めて合理的であり、被告人の供述が一審までの供述を変転させたものであることは、その信用性を何ら減殺するものではない。

被告人が原審で供述しえなかった理由の説明につき原判決は、「本件における大蔵事務官及び検察官によるバック金についての捜査は、元請会社ごとの受領額を個別に明らかにする客観的資料がないなどの状況の下で、強いて、これを追及せず、バック金の総額を明らかにすることに止められていたものであるから、被告人が右のように元請会社の役員の依頼に基づくものを含めてバック金の全体状況を供述するについて格別の支障があったとは考えられない」としてこれを納得しない。そのため不二建設の社長の依頼によるバック金の存在を積極的・確定的には認定しなかったのである。しかしながら、大蔵事務官、検察官が認めたバック金は、三期合計で金三億七三九八万三〇〇〇円であり、これは、バック金集計表という客観的証拠や佐藤富雄ら被告会社の役職員の供述によって、元請各社ごとのバック金の数額が確定しえなくとも、バック金の存在とその全体の数額は確定しうる性格のものである。これに対し、被告人が原審で供述することになったバック金には、バック金集計表の如き客観的証拠はなく、また被告会社の役職員でその存在を知る者は被告人以外にはないものである。このバック金の存在を認めてもらうためには、元請会社の名を出して反面調査の結果を待つ以外に方法のないことは明らかである。従って、大蔵事務官等の方針が、元請各社ごとの数額を確定することになったとしても、一審公判までは、原審で供述した不二建設の社長から直接依頼されたバック金の存在を語れなかったとする被告人の供述には何の不自然もないのである。原審の指摘は失当と言わざるをえない。

3 なお、原判決も引用する山口原審証言は、不二建設の被告会社に対する発注額を年間二億円前後としているので、この点付言する。バック金の額が発注額の一割である二〇〇〇万円というのでは、不自然な印象があり、原判決が山口から被告人に直接依頼したバック金の存在を積極的には認定しなかったのも、明言はしなかったがその証言に影響された可能性があるからである。被告会社の決算書添付の収入表から明らかなように、被告会社の不二建設に対する売上げは

平成元年度 二億九二五二万七七六四円

平成二年度 四億〇二六三万二五三三円

平成三年度 四億〇三八六万八三一八円

である。山口の前記証言は明らかな誤解があり、右売上高に比し、バック金は不自然に高額などということは何らないのである。

三 不二建設社長の直接依頼によるバック金が、バック金集計表の数額に含まれていないことについて

1 原判決は「被告人が元請会社の役員から直接依頼を受けて渡していたバック金」も、佐藤富雄作成のリベート集計表の数額に含まれるとして、原審弁護人らの主張を排斥した。ところで、右集計表は、毎月一〇日の支払日の二~三日前に被告人に現場ごとに支払う必要のある外注費とバック金についての明細を被告会社の工務部長渡部輝武が記載して作成した仕切書のコピーをもとに、佐藤が現場数と合計額をメモしたものである(佐藤の平成六年一〇月二〇日付検察官面前調書七丁・九丁)。また、右仕切書記載のバック金は、渡部のほか被告会社工務部の高良幸男や菅嘉高が元請会社の現場所長に要求されたバック金を右渡部がとりまとめたものである(平成五年三月一五日付大蔵事務官米盛仁作成にかかる完成工事高調査書八ないし一〇ページ)。

従って、リベート集計表記載の数額には、被告人の意思なり指示が全く反映していない、反映する余地のないことは明らかである。

ところで、被告人が原審で供述した、不二建設の山口から直接依頼されたバック金は、被告人が不二建設の岡田取締役部長と協議の上、契約段階で発注額を水増してその原資を捻出していたものであり、現場所長からの要求以前に既に確定しているものである(原審における山口速記録四~五丁及び被告人速記録三丁の各供述)。また、山口が被告人に直接依頼したバック金については、不二建設側でもこれを知っていたのは山口と岡田部長だけであり現場所長は関与していない(山口速記録六丁)。してみると、仕切書及びこれをまとめたリベート集計表の数額中に、被告人が山口から依頼されたバック金が、不二建設の現場所長を通じて含まれることなどおよそありえないのである。

2 以上のように、リベート集計表記載の金額が記載される経過に鑑みて、これに被告人が山口から直接依頼されたバック金が含まれていないことは明らかだが、このことは、現実のバック金の捻出・支払い方法に照らしてもまた裏付けられるのである。

被告会社の支払日たる毎月一〇日の二~三日前に、被告人は、従業員給料や労務費等の被告会社の現実の経費及び元請会社へのバック金等や自分自身の使用にあてるための裏金を含めた現金を捻出するよう佐藤に指示する。この指示を受けた佐藤は架空労務費等を計上する方法で裏金を作り、この裏金も含めた現金を被告人に渡していた(佐藤の平成六・一〇・二〇検面八丁)。佐藤から渡された裏金の中から、被告人は、仕切書に従った額のバック金を各現場ごとに封筒に詰めさせるほか(右同検面八丁)、被告会社の役員や社員に簿外の給料等を支払い(前同検面二三丁)、残余を自宅に持ち帰り「たんす預金」のような形で自ら保管していた(被告人の原審速記録二九丁)。

ところで、リベート集計表記載のバック金は、各現場ごとに封筒詰された後、被告会社の渡部、高良及び菅に渡され、同人らを通じて担当のゼネコン別に現場所長に届けられていた(佐藤の前掲検面八丁、大蔵事務官米盛仁の前掲完成工事高調査書八ないし一〇ページ)。一方、被告人が山口から直接依頼されたバック金は、被告人が一度持ち帰って「たんす預金」のようになったものの中から、被告人自身により現金で不二建設の岡田に届けられている(被告人の原審速記録三九丁、三丁、山口速記録六丁)。すなわち、同じバック金とは言え、これの支払は、これを持参する者、これを現実に受領する者のいずれも異なるのであり、仕切書記載のバック金として支払われるものの中に、被告人が山口から直接依頼されたバック金が含まれる余地はないのである。

3 これに対し原判決は、山口からの依頼されたバック金についての経理処理も、現場責任者からの依頼分と同様に佐藤が行い、支出のための書類は佐藤がチェックしていたから、佐藤がバック金に関して作成した右メモやリベート集計表に記載されたバック金の数額の中には、被告人のいう元請会社の社員からの依頼分も含まれていたと見ざるをえないこと及び不二建設に関してのみ水増分を超えて二重にバック金の支払がなされるのは不合理であることを理由として、元請会社の役員からの依頼分のバック金があったとしても、そのバック金は、佐藤作成のリベート集計表の数額に含まれていた旨認定した。

しかしながら、右は、被告人及び山口らの原審における供述等を正解しないだけでなく論理としての整合性を欠くものである。

まず、山口の直接依頼によるバック金についての経理処理も佐藤が行っていたとの点だが、被告人は原審において、以下のように供述している。

坂井裁判官

まず、不二建設に対するバック金の件なんですけれども、あなたが社長から依頼を受けたバック金についても、その経理は、やはりほかのバック金と同じようにしていたわけですね。

はい。

(中略)

若干ということじゃなくて、その事情はともかくとして、経理そのものは、佐藤さんは知っていたわけでしょう。

はい。

(被告人原審速記録二五丁以下)

この供述によれば、山口からの依頼のバック金の経理処理を佐藤が行っていたことは明らかである。しかしながら、このことは、佐藤がバック金に関して作成したメモやリベート集計表に記載されたバック金の数額中に、現場責任者の依頼に基づくものと役員から被告人に直接依頼があった分との双方が含まれていたと推認する何らの根拠とはなりえない。前述したように、被告会社の毎月の支払日の二~三日前に、佐藤は被告人から具体的な額の裏金を作るよう指示され、架空の月払労務費等を計上する方法でこれを捻出して被告人に届けるのであるが、被告人が佐藤に指示する裏金の額は、元請会社に対するバック金に限られるものではない。その裏金の中に、いわゆる仕切書(渡部工務部長が作成した、現場ごとのバック金を記載したもの)に基づくバック金や役員・従業員の簿外の給料等が含まれていたことは、佐藤も認識しているところであるが(佐藤の平成六・一〇・二〇付検面八丁)、簿外給料や簿外の労災関係費等の具体的な数額や裏金のそれ以外の使途については、佐藤も具体的には知らないのである(佐藤の前同検面二一丁、二三丁)。佐藤は、裏金のうち渡部等に渡されるバック金(これは仕切書に記載されたものである)や簿外の給料として従業員等に渡される分以外については、社長が「自分が自由に使いたい分」と評しているのであるが、これは、山口ら元請会社の役員からの依頼に基づくバック金の存在を佐藤が知らないための表現である。現実には、佐藤がいう「社長が自分で自由に使いたい分」の中から、現場所長へのバック金とは別に不二建設の岡田らへバック金が届けられていたのである(このことは前述した)。被告人が直接依頼を受けたバック金にあてるための裏金を作るための伝票操作は、事情を知らずに佐藤も関与していることから、その意味で「経理処理は佐藤がした」と言うことはできるが(被告人の原審供述はこの意味である)、しかし、被告人から岡田にこのバック金が届けられるにあたっては何らの経理処理もなされず(山口の原審速記録六丁)、従って佐藤は何ら関与していないのである。してみると、右の意味で、元請の役員からの依頼のバック金の「経理処理」に佐藤が関与していたからといってそのバック金の数額を佐藤が知る必要もなければ、その額を現場所長からの依頼分とを含めた額のメモをする合理的な理由もないことは明らかである。

原判決は、「経理処理」との言葉の具体的な意味内容を誤解し、この誤解に基づき誤った推認をしたと評するほかはないのである。

次に、不二建設についてのみ、二重のバック金がなされるのは不合理であるとの点だが、これも明らかな誤りである。まず第一に、現場所長の依頼に基づくバック金のほかに元請会社の役員からバック金の依頼があるのは、不二建設のみであるなどとは被告人も供述していない。そのような例はほかにもあるが、不二建設の山口のみが了解してくれたので公表したというのであり、原判決はその前提において誤っている。それだけでなく、不二建設に対して「水増し分を超えて二重のバック金を支払っている」などとの供述は、被告人も山口もしていない。山口から被告人に対し直接依頼されたバック金については、契約時点で金額を上乗せしてこれを捻出する原資としているのに対し(被告人の原審速記録三丁)、現場所長からの依頼によるバック金は、「やってもいない工事をしたようにして」(大蔵事務官米盛仁の前掲完成工事高調査書八ページに引用の渡部の供述、高良及び菅の供述も同旨)作った水増請求額である。すなわち、一方は、契約時点ですでに上乗せされた水増分を原資とするのに対し他方は現実の施工の段階で調整したものである。二つのバック金はそれぞれ別の水増額の各六割をあてていたのである。役員からの依頼によるバック金を認めると、水増分を超えて二重にバック金を渡すことになるとの原判決の指摘は、明らかに誤っていると言わざるをえないのである。

四 結論

以上の通り、被告会社は、平成元年度から平成三年度までの三期にわたり、元請会社たる不二建設の山口社長(当時)からの直接の依頼により毎期各金二〇〇〇万円を下回らない額のバック金を渡すため架空の売上を計上していたこと、このバック金については佐藤作成のリベート集計表に記載された数額中には含まれていないこと、そのため、一審判決認定の被告会社の売上高から各事業年度に各二〇〇〇万円が控除されるべきであることは明らかである。しかるに、原判決は、重大な事実を誤認し、この点についての一審判決の認定を指示して原審弁護人の主張を排斥したものであり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものといわざるをえない。

第二点 原判決は、労務管理費としてほ脱所得額から控除されるべき労災関係費があるのに、一審判決が認めた以上にはこれがないとして弁護人の控訴の趣意を排斥したが、これは重大な事実誤認であり原判決を破棄しなければ著しく正義に反するから、刑訴法第四一一条二号により原判決を破棄するよう求めるものである。

一 原判決の認定

被告会社においては、現実に労災事故が発生した場合であっても、いわゆる労災隠しとして、事故を労働基準監督署に届け出ないかわりに、事故により負傷した者等に対し、休業補償金、見舞金、入院雑費等を裏金から支給していたが、この支給額が労災関係費として所得から控除されるべきことを前提にした上、その額を

平成元年度 一二〇五万五〇〇〇円

平成二年度 一一二六万八〇〇六円

平成三年度 六七九万八五六〇円

とした一審判決に誤りはないとした。その上で、右認定に含まれていない平成元年九月期及び平成二年九月期の各二人、平成三年九月期の三一人についても休業補償金が支払われておりその額を所得から控除すべきである、との控訴の趣意を排斥したものである。

然しながら、控訴の趣意が指摘した合計三五名についても休業補償がなされたことは優に認められ、その額は、金九一〇万円と認めるべきことは後述の通りである。にもかかわらず、右三五名に対する休業補償の支出は認められないとした原判決は重大な事実誤認を犯すものであり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

二 被告会社における労災事故発生状況等

1 鳶土工事を主業務としていることから、被告会社にとって、労災事故の発生は避けられない現実である。

しかし、現実に発生した労災事故全てにつき労災手続をとることは、労働基準監督署との関係でまずいとの判断から、そのうちの相当部分につき基準監督署に届け出ず(いわゆる労災隠し)、そのかわり、受傷した労働者に対し、休業補償金等を簿外で支給していた。このことは税務調査以来原審まで一貫してみとめられているところである。

2 平成五年三月一五日付大蔵事務官米盛仁作成にかかる「労務管理費(完成工事原価)調査書」(以下労務管理費調査書という)、原審弁護人請求にかかる「災害事故発生状況綴(写し)」及び「労働者死傷病報告綴(写し)」によれば、平成元年九月期から平成三年九月期までの被告会社における現実の労災事故発生件数(人数)とこのうち労災適用を受けた件数(人数)の内訳は左の通りである。

年度 労災件数 労災適用件数

元年九月期 四三人 七人

二年九月期 四八人 八人

三年九月期 四六人 七人

右の事故件数(人数)と労災適用件数(人数)自体は、原判決も認めるところである。

三 原判決の誤り

1 しかるところ、前記労務管理費調査書は、簿外の休業補償を支給しなかった労災件数(人数)を平成元年九月期から同三年九月期までそれぞれ、九人、一〇人、三八人とした。この結果、実際に労災の適用を受けた(従って簿外の休業補償の必要がなかった)者のほかに、右各期それぞれ、二人、二人、三一人が、労災事故により受傷しながらも労災の適用を受けなかったにもかかわらず、簿外の休業補償が支給されなかったことにされたのである。

2 原判決も、右労務管理費調査書中の結論を支持し、この点の誤りを指摘した原審弁護人の主張を排斥したが、その理由としたのは左の点である。

(1) 被告人が、捜査段階において、大蔵事務官が認定した額以上の労災関係費の支出はないと明確に供述していること。

(2) 前記労務管理費調査書において労災の適用を受けなかったにもかかわらず休業補償金が零とされている者は、公表帳簿の労務管理費科目に医療費等として支払の計上がされている者か事故関係綴等の物証から支払がなかったと認められる者のいずれかであるところ、公表帳簿により医療費等が支出されているということは、まさに労災事故が公にされることを意味するものであり、このようなものについて簿外の休業補償金が支出されているとは考え難く、また事故関係綴等の物証にそれに関連する記載がなかったという者についても、やはり休業補償金の支払があったとみるのは困難である。

しかし、右二点は、いずれも全く合理的ではない。

3 まず、公表帳簿の労務管理費科目に医療費等として支払の計上がなされている者については、休業補償金が支払われていないとした点が明白に事実に反している。確かに、大蔵事務官は、平成八年一〇月九日付「査察官報告書」にてそのような説明をしている。しかしながら労災関係費明細表を一見すれば明らかなように、簿外の休業補償金が支払われたとして労災関係費の増額を認めた者についても、むしろ大半は医療費の増額は認めていない――すなわち簿外の医療費の支出を認めていないのである。たとえば、平成元年九月期においては簿外の休業補償の支出が認められた全員について医療費の支出は認定されていない。休業を余儀なくされながら全員について医療費が不要だったなどということはありえないから、これは、これら労災事故による医療費は、全額既に支払われているが全て公表帳簿に計上されていたとみる以外にはない。してみると、公表帳簿により医療費の支出が計上されている者に簿外の休業補償は支払われていないとした「捜査官報告書」の説明自体、全く信用できないのである。

また、前記「労務管理費調査書」が認定した「労災関係費」の額と、平成五年三月一一日付佐藤富雄作成被告人提出にかかる「労災関係費について」と題する「申述書」(被告人の平成六年一〇月一七日付検察官に対する供述調書添付資料一―以下申述書という)記載の金額とは完全に一致する。従って、右労務管理費調査書は、この申述書をもとに認定した結果を記載したことは明らかである。ところで、同申述書冒頭記載の説明文中には、「2/9期については元/9期で算出した休業補償額に基づき1人当りの平均補償額(鳶工二六〇、〇〇〇円、土工一三六、七五〇円)をもって計算しました。なお、医療費が公表計上されている者については、鳶工二五〇、〇〇〇円、土工一二六、七五〇円で計算しました」との記載がある。これは、医療費が公表計算されている者についても休業補償をしていたことを前提にしていることを明白に示すものであり、査察官報告書の説明が事実に反していることを疑問の余地なく明らかにしているのである。

そもそも、被告会社が労災隠しを行ったのは、労働基準監督署との関係を考えてのことである。労災事故による医療費の支出を公表帳簿に計上したからといって、これが直ちに労働基準監督署に露見するものではない。してみると、「公表帳簿により医療費等が支出されているということは、まさに労災事故が公にされていることを意味するのであり、このようなものについて簿外の休業補償金が支出されているとは考え難」いとの原判決の論理は、全く不合理というほかはないのである。

4 つぎに、事故関係綴等の物証から(休業補償の)支払がなかったと認められる者も「労災適用」人数に含ませたとの「査察官報告書」の記載も到底信用できない。

原判決が客観的証拠と評してその証拠価値を認める「災害事故発生状況綴」によれば、平成元年一〇月には、三日に関豊治が三〇日に松本光介がそれぞれ労災事故により受傷している。このうち、関豊治については、労災申請がなされており(「労働者死傷病者綴」参照)、従って簿外の休業補償の有無が問題になるのは、右松本光介のみである。しかし、前記申述書記載の休業補償を支給した者のリストには右松本が欠落しており、また「労災関係費調査書」添付の労災関係費明細表によっても平成元年一〇月には休業補償の支出はないことになっている。従って、労災適用がないにもかかわらず休業補償がなかったとされた平成二年九月期の二名のうちの一名が、この松本であることは明らかである。ところで、右松本の受傷状況は「溶接作業中、火花を防ぐためベニヤ板を現場監督が持ち脚立の上に乗っているのを押さえていたところ三mの高さより手摺が落下作業員の背中に当り負傷(打撲)二週間」というものであり、「事故関係綴等の物証から休業補償のの支払がなかった」と認められる者などでは絶対にない。

また、平成二年一月一日から同年一二月三一日までの間の事故発生状況綴八ページに記載されている岡田一雄は、「足場板を胸の高さの所より取ろうとして手が滑り足に落とし負傷した。翌日病院に行き診断」した結果「左足挫傷、第3足指骨骨折」であることが判明している。しかしながら、同人についても労災手続はとられていないにもかかわらず、簿外の休業補償の支払を認定していない(前記申述書、労務管理費調査書)。しかし、前述の負傷状況からして、「事故関係綴等の物証からして休業補償の支払がなかった」と認められるとは到底言えず、被告会社の労災事故の取扱に照らし、休業補償は当然になされていたことはむしろ明らかである。

同様の例をさらに二・三挙げることとする。平成二年一一月一四日、稲部智弘は、武蔵学園新築工事作業所中、高さ二五m位の木から落ち」左足関部捻挫の傷害を受けた。これにつき、労災手続はとられていないから、受傷程度からして当然簿外の休業補償が行われたと認められるが(なお、別紙添付の稲部智弘の証明書参照)、前記申述書及び労務管理費調査書によれば同人に対する休業補償は認定されていない。同じく、平成二年一二月五日に江戸川消防署新築工事作業所において、労災事故により「7針を縫う左上眼瞼裂傷の傷害」を受けた栗原誠基にしても、労災手続はとられていないから、簿外の休業補償が行われたと認められるが(別紙添付の同人の証明書参照)、前記申述書及び労務管理費調査書によれば同人に対する休業補償が認定されていないのである。

以上岡田一雄、稲部智弘及び栗原誠基らが、平成三年九月期において労災の適用を受けなかったにもかかわらず簿外の休業補償を受けなかったとされた三一名に含まれることは明らかであるが、これらの者が「事故関係綴等の物証から支払がなかったと認められる者」とは到底言えないことは既に見た通りである。してみると、これらの者を含む合計三五名について、「事故関係綴等の物証から休業補償の支払がなかったと認められるので「労災適用人員」の中に含ませたとの前記査察官報告書の記載が事実に反することは明らかである。

右三五名につき休業補償の支給があったことを否定し、そのための労務管理費の増額(すなわちほ脱所得額の減額)を認めなかった原判決は重大な事実誤認を犯しているというべきである。

5 なお、原判決は、被告人が捜査段階において、前記労務管理費調査書において認定された以上の労災関係費の支出はないと供述していることをも、一審判決のこの点についての認定を是認した理由としている。しかしながら、脱税の犯意についての明白であるなら格別、多数回にわたる経理処理が影響する簿外の休業補償の額についての「自白」は、数額を確定する有力な根拠となりうるものではない。被告人にとっても簿外で支払った休業補償の総額など直接の体験事実ではない。これについての供述は、事実についての供述というより大蔵事務官の調査の結果示された数額を承認するしかないかというむしろ取引ないしは意思の表明とみるべきである。してみると、客観的な事実認定の資料とする価値は極めて低いというべきである。

四 増加する労務管理費の額

以上の通り、労務管理費調査書において「労災適用人員」とされた計五七名中、現実に労災の適用を受けた二二名以外の三五名に対する休業補償に関し、原判決はその全員につきこれを否定した。しかしながら、前述した四名の例だけでも、原判決の誤りは明らかである。しかしながら、一審及び原審で取り調べた証拠だけでは、三五名中何名に、またそれぞれどれほどの休業補償がなされたかを確定することはできない。このような場合、原判決を破棄してこの点について確定するため原審へ差戻すことも考えられるが、起訴から既に三年近く経過した本件で、しかも捜査の段階から全面的に協力してきた被告人を右の点についての事実調べのためさらに刑事被告人の地位にとどめてその負担を強いるのは甚だしく不正義である。このような場合、既に取調べた証拠と「疑わしきは被告人の有利」にとの刑事裁判の鉄則に従って判断すべきである。

この原則に従って考えるに、平成二年九月期で明らかなように、労災事故人員四八名中、死亡者(一名)及び現実に労災の申請をした者八名を除く三九名中三七名については原判決も休業補償がなされていることを認めている。残り二名についてのみ原判決は休業補償がなされたことを否定したのだが、右二名のうち前述したように松本光介に対しては休業補償がなされていることがむしろ積極的に認められる。最後の一名が誰でその者に対し休業補償がなされていたか否か積極的に認定する資料はないが、前述したように、労災隠しの趣旨からして労災手続を経ていない労災事故の負傷者に対しては休業補償がなされていると考えられる。しかも、これを否定する根拠として原判決が摘示した点に理由がないことが前述のように明らかとなったのであるから、この者についても休業補償が支給されなかったとは言えないことは明らかである。してみると「疑わしきは被告人の利益に」との原則に従う限り原判決が否定した二名についても、休業補償がなされたものと解すべきである。

平成元年九月期及び平成三年九月期に関しても、原判決が休業補償がなされたことを否定した三三名についても前同様の理由で休業補償はなされていると解すべきである。

ところで、原判決がその妥当性を認めた「労務管理費調査書」は、前記申述書に基づき、平成二年九月期の休業補償の額を、平成元年九月期の平均補償額である鳶工につき二六万円、土工につき一三万六七五〇円(但し、医療費が公表計上されている者については、鳶工二五万円、土工一二万六七五〇円)としている。平成三年九月期については、休業補償の額の算出根拠を明確に示したものはないが、平成二年九月期と別異に取扱う合理的理由もない。してみると、原判決が否定した三五名についても同様と考えるべきだが、右三五名については、鳶工と土工の別、医療費が公表計上されている者の有無が不明である。換言すれば、三五名中の土工及び医療費が公表計上されている者の存在を確定できないから、ここにおいても、被告人に最も有利に、三五名全員につき、一人当り金二六万円の休業補償が支給されたものとすべきである。

してみると、被告会社の労務管理費は、大蔵事務官作成の労務管理費調査書記載の金額より、平成元年九月期で金五二万円、同二年九月期で金五二万円、同三年九月期で金八〇六万円宛それぞれ増額修正されるべきであり、原判決認定のほ脱額も各期それぞれ右金額が減額されるべきである。

五 結論

以上の通り、労災関係費に関し原判決は重大な事実誤認をしており、これが判決に影響を及ぼすこと、しかも原判決を破棄しなければ著しく正義に反することは明らかである。

以上二点において原判決の誤りは明らかである。原判決は、一審判決を破棄しながらも、被告会社のほ脱額を合計金六九一〇万円過大に認定し、被告会社に対し罰金一億円の、被告人に対し懲役一年二月のいずれも実刑判決を下したものである。しかし、右の通り、原判決が前提とした被告会社のほ脱額は、明らかに過大であり、この事実誤認を考慮すれば、前記実刑判決は、過酷に失し著しく正義に反することは明らかである。

速やかに原判決を破棄の上、被告人に対しては刑の執行猶予を、また被告会社に対しては相当の判決を下さるよう求めるものである。

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